吉相の久保田家とは

「人生は家あるとも墓なきは其の家滅び、墓あるとも其の建立よろしきを得ざれば其の家枯るる・・・・・・・・」と申します。墓は人生の根であり、墓が家をつくり人をつくっていくのであります。

吉相の久保田家は、創業以来一貫して正しい先祖祭祀のあり方を求め、「先祖祭祀と家族運」の研究に生涯を捧げられた偉大なる墓相家初代竹谷聰進師の教えを受け継いで、開運を呼ぶ吉相墓の普及に努めてまいりました。

現代社会は多様化し、複雑化を深めておりますが家族の幸福は万人が願うことであり、私たち吉相の久保田家は、先祖祭祀のあり方を通じて、多くのご家族と企業に貢献できることをこの上なく喜びとしております。同時に、ややもすると安易な傾向に走りがちな現代という時代の潮流の中で正しい先祖祭祀の"理念の啓蒙"を積極的に推進してゆきたいと考えております。それは、墓石メーカーとしての義務でもあり、私どもは久保田家の信条である"常に進歩的な視点に立って""悪いところをとったら、よいのが残る"という考え方に基づき、石材業界の機構改革をはじめ、社内外の人材の養成、行政各位との折衛等"お墓をめぐる改善"に鋭意取り組んでゆきたいと考えております。

理念

  • 先祖を弔い供養する最も重要な事は、代々シッカリと家・先祖を守る安心して任せられる相続人に恵まれて家が永続して繁栄をする事が、一番先祖が喜ばれる最大の供養になり、それを願って研究し建てられる徳風会式吉相墓を、お勧めしております。
  • 戦後日本の良さと強い国民性の、家族制度や相続制度を破壊した世情で、一基の墓に納骨をすれば供養は完了し、仏の霊名、法名は拝まない石の過去帳の霊標に記し、これらの原因で現在の年寄りの孤独や、離婚や未婚の増加と相続の不安定や、少子高齢化の困った社会情勢の元を出来る限り是正して、幸運を招く吉相墓をお勧めしております。
  • 家・先祖を軽視した簡単に先祖を無縁にする風潮を、現在の大きな変化に対応した方法を解明され、最も研究を極められた徳風会理事の朋秀先生のお力を、発揮戴いて一軒でも幸運を得られるお手伝いに努める事を理念としております。

経歴

明治初年 吉相の久保田家は、前身を久保田家石材商店と言って、ご石材発祥の地の京都北白川の、宮石工の伝統を受けて創業の道に入る。
昭和18年 二代目の久保田茂多呂が社屋を、京都市下京区高辻に移転し、徳風会二代目の初代竹谷先生のご縁を得て、本格的に吉相墓の指導を受ける。以降戦争中の厳しい風雪の中、弟伊三郎、弟英二朗と結束して事業を発展。
昭和33年 本社屋を現在地の下京区大宮松原に移し、法人組織に改め、株式会社久保田家石材商店として出発。
昭和35年 徳風会から長年に亘る実績と功績が認められて、「徳風会式吉相墓」の指定石材店に嘱託される。
昭和39年 墓相の調査と研究をして、実際に多くの家庭が先祖の正しい祀り方で、家庭や子供に幸・不幸の影響を受けて居られる実態を見て、一軒でも幸せを得られるようにと、「世にも不思議なお墓の物語」(久保田茂多呂著)を発表し、大きな反響を受ける。
昭和45年 坂田道太文部大臣より、正しい墓の祭祀法の教えで、社会に貢献した事で褒賞される。
昭和46年 製造部門を分けて、久保田家石材グループの(株)大晃石材を設立。
営業部門を久保田家石材グループの、(株)昭徳を設立して吉相墓や石材の販売部門として専任させ、久保田家石材商店は総合企画と管理部門にあたり、一体化して事業を発展。
平成7年 (株)昭徳の営業部門を分けて、吉相墓の部門を主体に(株)亘徳に、一般墓部門を(株)日本石材に移管。
石材の製作と販売部門は、久保田敏嗣が総責任を持って当り、墓相と家運の指導の面を徳風会理事 朋秀先生が専任。
平成15年 徳風会理事の朋秀先生のお力を得て、建立者の幸せの為に、(株)久保田家を設立し直接施工する事になる。

会社概要

会社名称 株式会社 久保田家
代表者 久保田 康裕
本社所在地 京都府京都市下京区大宮通松原下ル西門前町407 久保田ビル

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